連続テレビ小説『風、薫る』第13週・第65話。多くの視聴者が胸を締め付けられ、同時にシマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)の不器用な純情に身悶えしたのが、あの団子屋でのシーンです。
直美に頼まれて団子を買いにきたりん(見上愛)と娘の環。シマケンが待ちに待った、その「手渡す瞬間」がついに訪れました。彼が差し出したのは、通俗的なものではなく、どこか小鳥が羽ばたくような詩的な雰囲気を持つ作品でした。
劇中で明かされた書き出しはこうです。
「全く世の中といふものは、妙な工合にできているもので。東京は千駄木、団子坂の……」
りんは「とっても良い小説!」と他人事のように大感激していましたが、自分の出会いや自分の姿が描かれていることには、圧倒的鈍感さゆえに全く気づきません。
今回は、医療や文学の世相に詳しい視点から、「シマケンがりんを想う切ない気持ちが、この書き出しの後にどう続いていたのか」、その幻の全文を当時の文学的文体を交えて大胆に予想・再現してみました!
徹底予想:シマケン作『浮世の翼』団子坂のつづき
『浮世の翼』 島田健次郎 著(予想)
全く世の中といふものは、妙な工合にできているもので。東京は千駄木、団子坂の、騒がしい人混みの片隅に、その小さな鳥のような娘は忽然と現れた。
娘のまとう白衣は、まるで汚れた浮世の塵を一切寄せ付けぬ、高潔な一対の翼のようであった。誰もが己の生計や欲に目を血走らせるこの街で、彼女だけは、ただひたすらに「他者の命を救う」という、天から授かったかのような純真な光を宿して歩いている。
私のような、薄暗い部屋で紙とインクにまみれて生きる頼りない書生にとって、その姿はあまりにも眩しく、また遠い。手を伸ばせば、その清らかな羽音を乱してしまいそうで、ただじっと見上げることしかできない。
妙な工合、と云うたのは他でもない。 彼女は、他人の傷や痛みにあれほど敏感で、その小さな手で幾人もの涙を拭って見せるというのに、己に向けられた不器用な書生の視線――その、心臓の鼓動が裏返すような熱い情念にだけは、驚くほどに鈍感なのである。
籠のなかの小鳥が、広い青空の美しさを歌うように、私は彼女を想う。 彼女がその翼を広げ、過酷な医療の荒野へと飛び立っていくのなら、せめてこの泥濘(ぬかるみ)のような浮世の底から、私は彼女の行く末を照らす、一筋の言葉の灯火でありたいと願う。だが、この切ない恋歌が、彼女の耳に届く日は、おそらく永遠に来ないのだろう。
団子坂の風が吹くたび、私の胸のなかで、また小さな羽音が聞こえる。
この小説に込められた、シマケンの「二つの祈り」
いかがでしょうか。この文章の奥には、シマケンのりんに向けた、切なすぎる「二つの感情」が透けて見えてきます。
① 圧倒的なリスペクト(憧れ)
シマケンは、子供の頃に病弱だった過去を持っています。だからこそ、自分の力で立ち上がり、他者の命を預かる「トレインドナース」としてがむしゃらに生きるりんのことを、神聖な存在として捉えています。それが「通俗的ではない、小鳥が登場するような詩的な雰囲気」という作風に繋がったのでしょう。
② 「気づいてほしい、でも気づかれたくない」恋心
「妙な工合にできている」という言葉は、世界を救うナースが、目の前の男の恋心にだけは1ミリも気づかないという、りんの愛すべき鈍感さへの、ちょっとした愚痴であり、最大の愛着の表現です。 「良い小説!」と目を輝かせるりんに、シマケンが複雑な苦笑いを浮かべた理由が、この文章の行間から溢れ出ています。
まとめ:後に「書評家」として大成するシマケンの原点
第68話では、この小説『浮世の翼』の文学的価値が認められ、シマケンは新聞社から「書評・評論」の仕事を依頼され、大量の本に囲まれる文化人へとステップアップを果たしました。
りんに伝わらなかった恋のエネルギーが、彼の「文才」という本物の翼を羽ばたかせるきっかけになったのは、なんとも皮肉で、そして美しい展開です。
平の看護婦に戻ったりんと、文章の世界で自立し始めたシマケン。団子屋の通りで再会した二人の距離は、この「届かなかった小説」を経て、今後どのように変化していくのか? 不器用な書生の恋の飛行線(紙飛行機)の行方を、これからも温かく見守っていきましょう!
